2019年03月11日
震災から8年。嵐の音楽の支え、音楽の存在の大きさ。
2011年3月11日。
東日本大震災から8年。
もう8年なのか、まだ8年なのか。。
音楽が本当に救いで、音楽が在る意味、音楽の大切さを改めて感じた時でもありました。
当時たくさん聴いていた曲を聴くと、いろんなことを思い出します。
中でもやはり嵐の楽曲。
数あるアルバムの中でも『Beautiful World』の印象が強いのも、2011年7月リリースというタイミングもあるんだと思います。
"美しい"と表現したい曲がたくさん収録されていますね。
切ないけど優しい歌だったり、でも力強い嵐の歌声。
ニノソロの『どこにでもある唄。』は号泣しました。
『エナジーソング〜絶好調超!!!!!〜』には本当に元気をもらいました。
今でもそう、名曲ですね。
震災当時は東京に住んでいました。
故郷は福島県。
幸い、身内に不幸はありませんでした。
8年で地元が大きく変わりました。
避難された方で人口が増え、様々なお店が次々撤退。
復興がやっと進みだした頃からスーパーなど小型店から大型店まで様々なお店が立ちました。
知らない景色がたくさん増えました。
久しぶりに通るとたくさん通っていたお店がなくなっていることを知ったり、まだまだがんばってるお店を見ると、変わらぬ景色に嬉しくなったり。
8年経ち、一部仮設住宅は取り壊され更地になりました。
一方、まだ仮設住宅が立ち並んでいる現状もあります。
公園に行けば放射能を測定する機械が必ず目に入ります。
先日、ニュースで撤去方針というのを見ましたが。
早いとも感じるし、あっても意味がないとも感じます。
置いてあるだけで数値は見えるけど、公園などの一角でしかなく、正確な線量とは思えないので。やってます、感は否めない。
震災の日から、悲しさや不安と同時に、人間の汚さもたくさん見たり感じたり、価値観が大きく変わった日でした。
あの日はたまたま私は仕事が休みで家にいて、周りの心配だったり、連絡だったり、1日中情報を求めることしかできませんでした。
当時スーパー勤めでしたが、翌日、出勤すると売り場がガランとしていて。
同僚に話を聞くと、棚から落ちて瓶ものが割れてしまったり、早速"買い占め"が行われ対応が大変だったとのこと。
勤務先は水道がいつも通り使える地域でした。
それでも我先に、自分だけはと特に水やお茶などの飲料水確保に走る人がたくさん。
購入に数量制限をかけていましたが、それに激怒するお客もいたり。。
あんなに人の汚さを目の当たりし、接客にげんなりし、人の気にあてられたことは初めてでした。
被災地では買うどころか、寄付があっても供給が間に合っていなかったのに。
祖母が実際、悪質な被害にあっていた事も後になって知りました。
他県へ避難できるまでの間、近所の方と共に避難していた祖母。
避難した先で、2リットルの水を1本1000円で買わされていました。
他で手に入れる術もない弱みにつけこまれて。
実際他でも飲料水、ティッシュやトイレットペーパーなどの生活必需品が高値で売られていたり。
それも全部地元の方達から後になって知ったことばかり。
復興が進み始めた頃も、国の負担対象にならない家でも修繕が必要な人もいるわけで。
その料金を水増し高額をふっかける業者もいました。
放射線量が高く、家の壁を塗り替える方が多くいたのですが、相場の倍額を提示され支払ってしまった方も。
あとになって近所の方と塗装代の話になって知った時にはもう塗装が済んでしまったのだそう。
高齢の方のお家でした。なかなかお年寄りだけだとネットで調べたりできないですよね。。
見積もりを2件とり高額請求を免れた方もいましたが、早急に対処したいからと1件しか見積もりを頼まない方も多かったようです。
まだまだ上げたらキリがありませんが。
助け合わなければならない時に、人間の汚さがこんなところで出るなんてと悲しさや怒りを通り越して呆れました。
最近、呆れたのは。
生まれも育ちも関東の人が、わざわざ津波被害にあった場所に行き、何もなくなってしまった場所を写真に撮って帰ったこと。
本当に用がなく、ただなんとなく見たくて、わざわざ車を走らせて行ったそう。
ただの興味、好奇心で。
自分になんのゆかりもない地に。
その写真どうするのかと思えば、関東の友人らと話す時に、こんなになってた、と見せる為だとか。
その友人もその場所に何のゆかりもなく、元々の景色も知らない。それなのに。
わざわざ撮る意味がわかりません。
ただのなんとなく話のネタにするとか、不謹慎としか思えない。
震災後、備えをするようになりました。
水のストックだったり、懐中電灯だったり。
それまでの1人暮らしの間、なかなか懐中電灯の常備ですらしてなかったのですが💧
蝋燭を買い足したり。
いざという時の為、しっかり置く場所を決めるようになりました。
震災直後や、計画停電の時、ライブで使う嵐ファンライト(ペンライト)を使用したという話を知ってから。
インテリアも兼ね側に置いています。
それまでは汚れぬようにビニールにキッチリしまってました(^_^;)
ペンラがそのような形で役に立つなんて!と驚いた覚えがあります。
今まで頑なに携帯電話を持たなかった親や祖母も、震災をキッカケに持つようになって、メールのやり方を覚えたり。
大きな変化や、身近な小さな変化まで、この8年でいろいろありました。
震災に関してもそうですが、今まで生きてきて私の中で音楽の存在が本当に大きいです。
嵐がほぼ。
幼少期から学生時代、大人になって移り変わって……主となる担当が移り変わってはいるものの。←
生きてきた傍らにはジャニーズの楽曲の数々。
そしてロック。時々流行り曲。
嵐の『果てない空』も震災の頃、テレビで改めて良い曲だと感じた1曲。
本当に名曲ばかりですねぇ。。
SPYAIRの『サムライハート(Some Like It Hot!!)』も、2011年6月リリース当初から今も聴いている1曲です。
今の世を切っているなと。
それこそ、先程書いた我先人間たちに聴いてほしい。
まだまだ震災の痕は消えませんね。
福島県出身と言うと「地震大変だったでしょ」が定番になり、続けて必ず放射能の話。
それまでテレビで「福島県」はほとんど聞かなかったのに、こんな形で有名になってしまったことが悲しい。
ローカルニュースで毎日やってる放射能の情報も、本当の数値なのかと疑いながら見ているのも変わらずです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り致します。